時計を探すという行為をいつからしてないかなぁと思う。
中学までは時計を探すということしていた気がする。
高校から携帯で時間を見る様になって
今も時間は携帯かパソコンで見ている。
アナログの時計は時間をはっきりと伝える必要がなくなっているように感じる。
正確な時間が知りたければ、携帯の方がよっぽど信頼できる。
自宅の時計も常に5分早く動いてるし。
これは遅刻しない様に気持ちを焦らせるようにしたんだけど
倉俣史郎さんの時計で[just in time]という作品がある。
それは自然の枝と大きく弧を描いたしだれが特徴的な、実際の時間がいまいち掴めない持ち主にしか時間のわからない
持ち主すらわからない時間を刻む時計かもしれない。
不自由という自由さ
なんて言葉を思い浮かべながら時計のことを考える。