2011/02/24

どこでもドア

どこでもドア、いつでもどこでも好きなときに移動ができる。
あったら便利でしょうね。

しかし、その場合において建築とはどうなるのでしょうか?

例として日本限定で考えてみましょう。
日本は東京を中心に政治、経済、物流、文化が展開しています。
そのため、日本の人口の1/10である1300万人が東京で生活しており、その周辺の千葉、埼玉、神奈川など、東京周辺の地域に人口が集中しています。

どこでもドアがあればどうでしょうか?
日本の中心ともいえる東京、しかしそこには沖縄や北海道など、どんなに離れていても簡単にアクセスできる訳です。

今まではアクセスがより便利になるように、東京あるいはその近辺に人口が集中していました。その人達がどこに住んでも、ものの数秒で東京にアクセスできる。

そのときも日本の中心は東京でありつづけるんでしょうか?

次回に続くかも

2011/02/17

健康生活24



朝、7:00に目が覚めて、朝ご飯を食べて、部屋の掃除をして

12:00に外に走りに行き。

ブックオフで本を買い家で読む。

なんとも健康的な生活でした。

2011/02/15

2011/02/11

TOKYO TO


上の写真は左から「フジテレビ」「カテトダル大聖堂」「都庁宿舎」「宿舎中庭」となっています。

建築好きの人もそうでない人も一度は目にしたことがあると思います。

1950年代から日本の建築界をリードし続けて来た建築家丹下健三さんの作品です。

そんな彼の作品は一度見れば、わすれないようなランドマーク性を高くもっていると感じます。

ひとつのランドマークを中心に街が形成される考え方は、昔の町や村の都市構成に似ているなと思います。
町や村は神社や寺、城などのランドマークを中心に家や商が展開されていくところに考え方が近いと考えれます。
それこそ彼が目指していた都市の構成でないかとおもう。

それは昔は当然のことでした。

一つの大きな権力の周りを囲むように、人々があつまる。

至極当然な土地の使い方です。

しかし、今はどうでしょうか?
大きなビルに人が詰め込まれ、土地の風土は消えていき、どの街も均質化が進んでいます。

情報社会が中枢都市とその他の地域をタイムラグなく結びつけることによって、街は便利になっていく一方、その個性を失っているように感じます。

これが情報化社会における建築や都市構造になっていくんでしょう。
それが21世紀の情報社会的建築と考えるとなにか、さみしい気がします。

その土地の風土や、歴史に沿った、より人に土地に沿った建築を目指すことは時代錯誤になるのかもしれません。

と先々週くらいのこち亀を読んで気づかされました。

2011/02/08

METAL


オオ完璧ニ成功シタノデース
医学ガマタ一歩前進シタ瞬間デース

Kawasakiノ4気筒エンジンニ
パワーヲ上ゲル為ノ全自動タマゴ割リ器デース
ソノ上インテル入ッテマース

筋力ポイントがすごく上がった
技術ポイントがすごく上がった
俊敏ポイントがすごく上がった
変化球ポイントがすごく上がった
精神ポイントがすごく上がった
球速が3上がった
スタミナが10上がった
コントロールが30上がった
野球センス○を会得した

というラッキーボーイな一枚

STAR



転校生のあいつは宇宙からやって来た星の王子サマ!?
あいつと私が織りなすドタバタ学園コメディ
コメディ超大作ついに掲載決定!!!

という妄想をしながら作った。

2011/02/07

Fire


FhotoShopで最近遊んでいるんですが

なかなかむずかしいものです。
なかなかプロの技には及ばないです。

春はFhotoShopをもりもり勉強しよう。
あとChinema4Dも勉強しよう。

2011/02/06

LIFE





東京は本当に古本屋が多いなと感じる。
お茶の水とか神保町とか見てるだけで、一日が過ぎていく。

ブックオフなんかで、値札の貼ってある本は値段が完全に固定されているけど、
古本屋は店の人に話を聞いたり、本を多く買うと、安くしてくれたりする。

コミュニケーションしながら、買い物が出来る。
最近はそういうものが減って来てる気がする。

セルフレジや、ネット通販が発達していき、買い物は交流のツールでなくなった。
実際、家に引きこもり、Amazonで通販をして、家から出なくても生きてはいける。

さみしい世の中ではあるなと思うけど、これが新しい時代なんだろうか?
情報化社会とはこのような時代の流れをさすことなのだろうか。

一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、善く生きることである。

ソクラテスは自分にとって最善の生き方をしていけばいいと言った。
単に生きることを続けることは、本人にとって最善であれば、そこに落ち着いていいという自己責任な生き方になるんだろう。