
ある建築家は言いました。
僕は建築よりもスタディの方が好きかもしれない、建築のように完成されたものよりもスタディのようなあいまいな不確定なものの方が好きだ。
たしかに建築は完成してしてしまえば、それ以上は変化はないだろう、建築は出来上がれば、そこで完結してしまう。
使う人や使用目的で、建築の存在する意味は変わるだろう、建築はそこに存在し続け、変化を拒むものになるかもしれない。
当初は学校だったものが、今ではロックフェスの会場になっている。
昔は刑務所だったところが、博物館になる。
このように時が経てば使用目的は変わり、本来の意味を忘れてしまう。
ある種では、嫌悪される行為であるかもしれない。
しかし、建築という大きなものだからこそ、人に歩みよるということも大切だと思う。
そして、建築家であるがこその不確定なあいまいなものを考え続けることが必要だと感じた。