2010/12/31

崖の周辺物語


ある建築家は言いました。

僕は建築よりもスタディの方が好きかもしれない、建築のように完成されたものよりもスタディのようなあいまいな不確定なものの方が好きだ。

たしかに建築は完成してしてしまえば、それ以上は変化はないだろう、建築は出来上がれば、そこで完結してしまう。

使う人や使用目的で、建築の存在する意味は変わるだろう、建築はそこに存在し続け、変化を拒むものになるかもしれない。


当初は学校だったものが、今ではロックフェスの会場になっている。

昔は刑務所だったところが、博物館になる。


このように時が経てば使用目的は変わり、本来の意味を忘れてしまう。

ある種では、嫌悪される行為であるかもしれない。

しかし、建築という大きなものだからこそ、人に歩みよるということも大切だと思う。

そして、建築家であるがこその不確定なあいまいなものを考え続けることが必要だと感じた。

2010/12/26

年賀状


広島から東京に来て2年たちます。

年賀状毎年、実家にだけ送っていますが、年賀状のデザインってどのようなものがいいんでしょう。

去年はジャングル大帝レオを虎に変えて送りましたが、今年は時間がうまく作れなかったので
ヤン・チヒョトルのデザインを表面上パクったものにしました。

デザインはいいものを盗む、これが基本です。

しかし、表面上だけではなにか足りないものを感じます。

やはり基本を学ばないとオリジナルは生まれもはん

2010/12/25

ワールドワイドに


なにかワールドワイドなロゴを作ってみました。

なにがワールドワイドかというと、地球をバックに背を背負うというワールドワイドっぷりです。

昔から地球をバックに背負うとなにかワールドワイドさを感じます。

2010/12/24

ヒョードル イン ザ セル



考えるとなにもできなくなることがある。

不安が言い訳になってにじみ出る。

そんな日もある。

2010/12/20

もやし





もやしはビタミンCなどが豊富に含まれる野菜界のイチローだ

中央電算装置がやられただと!?



中央電算装置とても語幹のいい言葉だと思います。

僕の中で一番といっていいほどの語幹のいい言葉です。

調べてみると、はっきりしたものが出ませんでした。

誰かどういうものか教えて!

2010/12/17

クリスマス


街を歩けばクリスマスキャロルが聞こえてくる今日この頃。
疎ましい季節になってきました。

そもそも僕は仏教徒なので、こんなイベント関係ないはずだ。
もてない男がよく口に出す言葉をつかってみます。

とはいえ、これだけ大きなイベントをただ傍観するだけでは癪なので、少し調べてみました。

クリスマスはイエス・キリストが「神の子が人の子として生まれて来た日」として12/25を祝うものです。

日本で言えばみどりの日がそれに近いかも知れません。 みどりの日は昭和天皇の誕生日で昔は「天皇誕生日」という名前でした。戦中の天皇の神格化を考えるととても近いものを感じます。

ではなぜクリスマスだけが、このように日本全土を巻き込んで祭り上げられているんでしょうか?

1900年には既にクリスマス商戦というものはスタートしていたらしく、自分の思う相手にプレゼントを渡すような日になっている。
1925年の12/25に大正天皇が崩御し、この日を先帝崩御日とし休日になっていました。 その後1948年までクリスマスは日本で休日となっていました。
このような要因も重なって、クリスマスは民衆に周知されていったそうです。

日本でこれだけクリスマス、クリスマスと騒がれているのもなんとなく納得しました。

それでも、クリスマスを祝いたくないのなら、大正天皇の崩御を心の中で弔う日としてみてはいかがでしょうか?

2010/12/13


猫をデフォルメしたネコです。

なにに使おうと思ったのか覚えてないくらい

印象に残ってないネコだなぁ。

2010/12/09

敷居


僕が探究心にあふれた青年だとしたら

関係者以外立ち入り禁止の札も無視してでも

このベンチ? に座っていたでしょう。

なめるように見たでしょう。

しかし僕はそんな精神は持ち合わせていません。
外からそっと写真を撮りました。



ところで、ロビーとはどのような空間なのでしょうか?


パブリック? プライベート?



さまざまな人が訪れる銀行や病院であれば公共性がその空間に芽生えると思います。

しかし、今回のように訪れる人を限定してみた場合は?


会社という単位で考えるとロビーは会社の空間で、外部の人間が使えないので私な空間になります。
つまりプライベートな空間であると



ここで、少し疑問が生まれました。


これだけ透明性の高い建築が看板一枚でここまで外部を遮断するというのは、設計した人にとってはどうなんだろうか?


苦渋をなめたんだろうか、開放感あふれる空間ができたから満足したんだろうか


設計した後の建築の使われ方は建築家は選べない、それが痛く実感できました。



ただひとつ言いたい。
そんなに外の人入れたくないならもっと閉鎖的にすればいいのに、


こんな風に

2010/12/03

ギター和尚のごきげん説法





ブックオフで自己啓発コーナーで、こんな本を見つけました。

僕は学校などの一部のコミュニティでおしょうと呼ばれているのですが、これは僕とは一切関係がありません。

しかし、どうしても目に入ってしまうと意識せざるおえません。
和尚という文字はただの記号でしかありません。

和尚という文字を見れば、日本人のほとんどが一休さんに出てくる和尚さんを想像するでしょう。
他方で僕(和尚)と面識ある人は和尚に僕を連想する人もいるでしょう。

和尚という文字ひとつとっても個々でさまざまな判断ができますね。

でも和尚の文字のフォントが変わるとどうでしょうか?

楷書で書いた、文字に僕の印象をうける人は少ないと思いますが、ゴシック体ならまぁ僕を連想する人もいるでしょう。

同じ意味を持っているはずの文字なんですが、形や大きさである程度人の印象を誘導できるんできると文字の勉強もしなきゃいけないなと考えるようになりました。





2010/12/02

オブラートに包まれて


今日、宮崎のおみやげでボンタンアメをもらいました。
実際はどこでも買 ( r y

まぁそれは野暮ってもんで、いいんですが。

なぜボンタンアメはオブラートに包まれているんでしょうか?

まずオブラートとはなんなのか?

オブラート
オランダ語: oblaat)とは、日本ではデンプンから作られる水に溶けやすい半透明の薄い膜のことを指す。薬品や菓子などを包み、そのまま体内に摂取することができる。名称の由来はラテン語のオブラトゥス(oblatus楕円形)から。

ウィキペディア先生です。

ここでわかることはオブラートは食べられるということです。

ボンタンアメ以外のキャラメルなどの包み
は、パラフィン紙というものをつかっているので食べられません。

キャラメルの包みはキャラメル同士がくっつかないようためにあります。
ボンタンアメも同じでしょうが、なぜオブラートなんでしょうか?

調べてみると、ボンタンアメが販売されたのが
大正15年なんですが、そのころはパラフィン紙などはなく、オブラートを手で包む方法しかなかったんです。

調べてみるとあっけない。

考えてみれば、その時はオブラートしか使えなかったけど、それがボンタンアメの独自の味と感じれるし、食べられる包みって今となっては地球に優しいエコロジーってもんです。




2010/12/01

グラフィック


ある企画書をプレビューしてみたらこうなりました。

なんかかっこよくない?

2010/11/30

冬と半袖

今日は半日くらい半袖で過ごしていました。

「寒くないの?」といろいろなヒトに聞かれましたが意外と寒くないんです。

冬の装いをみんな初めて寒さを感じていると
思いますが、今日の最高気温は16℃で考え方を変えれば、クーラーの最低気温ですし学校の中は22℃くらいあったと思います。

変なもんで半袖って体にいいんじゃないかと感じるくらい、快適でした。



 こんなTシャツがほしいです。
 タイ旅行とか行くヒトに探してきてほしい。